おぐら庵

誰かのなにかになったら

治療が始まる

あんみつみかんです。

 

前回は点滴について書きました。

 

いよいよ治療が開始されます。

 

薬が投与されている時、気持ち悪くなることもありましたが

何かを一生懸命やったり、ということはなく毎日病棟をお散歩したり

ゲームをしたり、絵を描いたりしているだけでした。

 

当時は父が毎週水曜日と週末、母と付添を交代してくれていました。

泊りがけでした。今思うと、なんてすごい人なんだろうか、そう思います。

妻の為に会社を毎週休ませてもらい付添を交代し

週末も看病してくれて。それまであまり父のことを知らなかったのですが

付添にきてくれたら一緒に遊んだり、ビデオを見たり、

好きなご飯を作って持ってきてくれたり、優しい父でした。

私が錠剤の薬が飲めないので粉にしてもらっていたら

その薬が飲めたらシールが貼れる「おくすり帳」を作って来てくれたり

(キャラクターも印刷してあってシールもかわいいものを買ってきてくれました)

私は当時 ミニモニ。の大ファンだったのでミニモニ。の写真を印刷して

はがきを送って来てくれたりと本当に頭があがりません。

 

母もずっと付添をしてくれていて毎日洗濯、買い物、散歩に付き合ってくれたり

話相手をしてくれたり、看病はもちろんでしたが沢山世話をしてもらいました。

私がイライラしていたらなだめたりしてくれていました。

 

なのにその母に私は「お母さんみたいになりたくない」と言ったことがありました。

というのも、小児病棟にはたくさんの付添のお母さんたちがいて

すごくスリムなお母さんがいたんですよね。赤ちゃんの付添の方で。

今思えば若くてスリムというだけで何も知らない人なのですが

今は母のように子どもを受け入れて、励ます、そんな女性になりたいと思います。

今思えば、若干の反抗期?思春期?だったのかなぁ。9歳なのですが。

友達のかわいい消しゴムを借りパクしちゃった((ことも泣きながら懺悔したり(

(退院してからちゃんと返しましたごめんね)

 

我が子が小児癌になった、というのは

当時本当に心細かったろうなと思います。

周りに同じく我が子が病気の親がたくさんいた。

だけど、それは皆それぞれの病気で。

いつどうなってしまうのかなんて、わからない。

漠然とした不安もあったろうなと、今なら思えます。

 

治療の辛さはここから

 

つづきます。