おぐら庵

誰かのなにかになったら

すぐ退院は出来なかった

あんみつみかんです。

 

前回は大きな病院で検査を受けるとこまで書きました。

 

 

検査が終わり、検査結果を父と母が聞きに医師の元へ。

小児病棟だったのと小学生だった私は部屋で待つことに。

すぐ退院したら何しよう、何食べよう、そんな風に考えていました。

当時はハムスターも飼っていて 早くお世話したいな、なんて考えていました。

 

父と母が戻ってきて 私はすぐに帰れないことを知りました。

その時のことはあまり覚えてないんですが

すごく大きな点滴 3リットルでしょうか点滴棒は外れず

毎日おしっこをカップにとって測る。

当然毎日そんなに点滴してたら夜中にだってトイレに起きる。

 

毎日毎日毎日。

 

今思えば治療に向けての準備だったのでしょう。

 

骨髄の検査がありました。マルク、と呼ばれるものでした。

今調べてみたんですが看護師の用語らしく

骨髄穿刺(こつずいせんし)というもので

骨盤の横側から針を刺して中の骨髄液を採取します。

骨にごりごりするので最初はなにが起こっているのやら

麻酔の針でさえ痛いのに横を向いた状態で、看護師さんに抑えられて

腰にごりごりごりごりってやるんです。泣きました。

 

看護師さん達は言います、「ひっぱられるような感覚だよね~」って

 

は?

 

と思いました。実際、マルクというのは何度もやります。

慣れてきて泣かないこともありました。

でも看護師さんのこういう言葉 やったこともないくせにって

段々思うようになります。実際大人に押さえつけられて骨盤に

ごりごりごりごり針をさされて吸い上げられる

骨髄液を、ね?ただひっぱられるような感覚なだけなわけねーだろ

そう思っていました。いや、今でも思います。

 

わかる~って本当にわかるときだけにしようって思いましたね。

 

子どもは骨盤らしいんですけど、大人になると胸骨らしいです。

私は腰の方がいいな…でももう二度としたくないな。

 

つづく

 

 

夜間の救急病院

あんみつみかんです。

 

前回は夜間の救急病院に行くとこまで話しました。

 

何度か鼻血が出るとき、夜間の救急病院へ行くことになりました。

血を固める薬をつけた綿を病院では詰めてもらい

鼻血がすぐ止まりました。医師にみてもらうだけでもほっとする。

鼻血が止まれば寝ることもできる。ですがそんなことが何度か続き

流石に医師から 血液検査をし、

あんみつみかんさんを大きな病院で診てもらいましょうと

いうことになりました。

 

私は北の生まれです。舞台は北だと思っておいてください。

血液の癌が見られるような病院を紹介され私たちは大きな病院へ

行くこととなりました。

 

そこでは今まで受けたことのないような検査を沢山しました。

血液検査はもちろん、エコー、レントゲン、心電図、MRI…などなど

何があったかはちょっと忘れてますがエコーは結構好きだったな。

はじめて車いすにのってちょっとわくわくしたり。

 

レントゲンを一緒に待ってくれた看護婦(師)さん

(当時は看護婦さんと呼んでいましたので今後打ち間違いなどありましたら

ご容赦ください。なるべく看護師さんで統一したいと思います。)

がすごくいい人で。担当の看護師さんだったのですがなかなか当番回ってこなくて

モヤモヤしてたな(笑)

 

漠然となんにもなくて、1週間くらいで退院できる!と思っていました。

なんにも心配してない。部屋だって6人の大部屋。

大部屋のこと個室だって当時思ってたんですよね。大きい部屋みたいな。

そんな風に思っていました。母が付き添ってくれて泊まってくれていました。

 

私人生初の入院!なんて思っていました。

 

つづく

夜中がこわかった

あんみつみかんです。

 

前回は鼻血の話をしたと思います。つづきです。

 

鼻血は頻度が上がって夜中になると出ました。

両親は乾燥しているんだろうか、と加湿器をたいてくれたり

すぐに対処できるように私を二人の寝室に寝かせてくれたり

ですが、鼻血は夜中襲ってきます。ゴミ箱に滝のように

ジャーッと音を立ててでることもありました。

貧血で視界の周りが暗く感じていたり、沢山動けなくなりました。だるいんです、身体が。

 

その頃、学校の友達と外で遊んでいた時のことです

当時、キックボードが流行していて私も乗っていました。

今思えば絶対マネしないでほしいのですが二人乗りにチャレンジして

落ちて転んだんですよね。

 

そしたらそのぶつけた部分が打撲になり

内出血がひどく、その部分がかたくなっていました。

母もみていたはずですがどう思っていたのかまではわかりません。

学校の友達にみせたら「え、それどうしたの?大丈夫?」と焦っていました。

右の腕と左のふくらはぎ内側でした。今でも忘れません。

 

おかしいんですよね。この時点で。

普段から遊んで内出血を作ったりすることはありました。

でも打撲するか?こんなに内出血するか?

耳鼻科で治療しているのにどうしてこんなに血がでるのか?

 

次に鼻血が出た時

私達は夜間の救急病院へ行くことにしました。

 

つづく

その時は急にきた

あんみつみかんです。

 

 

 

私は小学校3年生(9歳)の時に

急性骨髄性白血病(きゅうせいこつずいせいはっけつびょう)を発症しました。

 

その時は急にやってきて

 

私は外で日焼けを気にすることなく元気に走り回って遊ぶ子どもでした。

運動することもまぁまぁ好きで、毎日元気に学校に通っていました。

 

たまに夜中に鼻血がでることがありました。

それは決まって夜中。すすることの出来ない液体。

枕が真っ赤になることもありました。気づいて起きて

「お母さん~」と呼ぶ夜が増えました。

ティッシュで必死におさえます。ですが上も向けず

ゴミ箱にどんどん血まみれのティッシュが溜まっていきました。

母は心配し、父も一緒にティッシュをもってくれています。

 

私は夜中だから眠いのか、気が遠くなっているのかわからない感覚でした。

当時はインターネットもあまり普及していませんでしたから

家庭の医学、のような辞典で父が懸命に調べてくれていました。

 

鼻にティッシュの栓をして、やっとおさまってくると座ったまま寝て

翌日は耳鼻科にいきました。

医師に診てもらうと、鼻の横から血管が出ていて

そこから血が出たのだろう、とのことでした。

薬でやいてもらって午後からは学校。

 

そんなことが数回つづきました。

ただ、鼻の粘膜が弱い、血管が横にちょっとでてる。

そう思っていました。

 

余談なんですが後に小学校6年生の時に

何度も通っていると医師が

電メスで焼くことをすすめてきました。

正直何度も何度も通う事にもうんざりしていたので

電メスで焼いてもらうことにしました。

電メスは棘ぬきのような形をしていてくっつけると

青い電気が…!それが鼻に入って来て バチッ!!

麻酔の薬がしみ込んでいたはずでしたが

あれは痛かったですね~(笑)

 

でもその後鼻血は全くでなくなりました

ありがとう医師。

 

つづきます

 

 

 

はじまり

あんみつみかんです。

 

まず私の身体のことをブログに書こうと思ったのは前回話した通り

夜中に不安になったり診察後不安になったりしている人が

ちょっと安心できるような

誰か同じような境遇の人が 光を見いだせたり

看病している人に 希望をもってもらえたらと思い書こうという気持ちと

 

自分自身も整理用に書きたいなとずっと思っていたので始めます。

 

まず私の身体について簡単に書き

徐々に記事で追っていきたいと思います。

 

私は小学校3年生(9歳)の時に

急性骨髄性白血病(きゅうせいこつずいせいはっけつびょう)を発症しました。

その後闘病生活を経て、現在も血液内科と婦人科を通院しています。

 

白血病は3年生~5年生(11歳)まで治療していました。

3年生の時に一度治療は終わったのですが1年もしないうちに

再発し、再入院しました。

その後移植手術を受け 現在まで再発なしです。

 

現在(28歳)は移植手術の際うけた、放射線治療の後遺症について

病院に通院しています。

 

当時の気持ちや、状況についても掘り下げたいと思いますので

今後の記事は詳細を伝えていこうと思います。

 

よかったら読んでください。

はじめます

初めまして、あんみつみかんと言います。

 

前から自分の身体の事について書いておきたいなと

思っていたのですがなかなか着手していなくて

知り合いが始めたので私もやってみようかなと思います。

 

どこかの誰かのあなたが 深夜に不安になって

同じような状況の人を探す時

このブログが見つかって

似たような状況で参考になったらと思います。

 

次の記事で自分の身体について書きます。